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黒猫有情の『まぼろし占い』

願望実現とか占いとかだったり

カリオストロ伯爵

 

黒猫は数秘術で相談者さんの運命数を観ますが

この運命数を出す計算式に、2種類あるんですね。

現在、代表的な二つの変換システムがあり、それぞれヘブライ・システム、モダン・システムと呼ばれています。使用するシステムによって、結果は当然違ってきます

黒猫はヘブライシステムを採用しています。

起源としては、旧約聖書に隠された暗号の解読法やピュタゴラスの唱えたハーモニーの考え方が元になっています。 天才詐欺師のカリオストロ伯爵(偽名)が占いに用いて広く知られるようになったそうです

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アレッサンドロ・カリオストロ伯爵

 偉大な錬金術師なのか、希代のペテン師なのか?
カリオストロ伯爵(1743~1795)は錬金術師の代表である
18世紀のヨーロッパでは、医師、錬金術師、占星術師などの肩書を騙って上流階級
のなかに紛れ込み、一花咲かせようと目論む者がたくさんいた。
詐欺師まがいの彼らは、「山師(アヴァンチェリエ)」と呼ばれていた。
 そんな錬金術師達の中で、頭を抜いて評判だったのはカリオストロ伯爵だった。
怪しげな噂の多い彼だが、時間旅行者サン・ジェルマンが所持していた秘伝書『La Très Sante Trinosophie』の著者といわれ、錬金術や魔術を操っていたのは事実のようだ

 不思議なのは、サン・ジェルマン伯爵と同様に、カリオストロ伯爵もまた錬金術と魔術によってフランス革命前夜のヨーロッパで人気を集め、一世を風靡したということだ。当時、彼のために、次のような詩が作られ、大衆の間に広まったほどである。

  「光明を認められた人びとの友、
  その日々は新しい善行に印づけられ、
  かの人は命を延ばし、赤貧を救う。
  有為の人たる歓びのみがかの人の報酬」(種村季弘訳)

 とにかく人々の評判を得るのがうまい、奇抜な人物だったようだ。次のような話が残されている。


 1780年、アルザスの地方都市ストラスブールにいかにも人目を引く人物が現われた。妻と一緒に町で最高級のホテルに滞在し、何人もの使用人に囲まれて暮らし、自分専用の馬車を持ち、宝石や金をちりばめた派手な衣装を着た人物である。彼は自分は医者だと名乗ったが、ただの医者ではなかった。患者から料金を取らない奇跡医なのである。
 すぐにも貧乏な病人たちが彼のところに救いを求めて集まったが、彼はそんな患者たちに食事を与えたうえ、帰るときには施し物まで、彼らに与えた。そのうち病人たちは彼の姿を見ただけで彼の周りに集まり、跪き、救い主とか神様とか叫ぶようになったのである。
 この人物こそカリオストロ伯爵だった。
 こうして、彼はたちまちのうちに町中の評判を勝ち得た。貧乏人だけでなく、上流階級の人々までが、彼に尊敬の念を抱くようになったのだ。

 もちろん、これでは他の医師たちが困るので、カリオストロのことをインチキ医者だといって非難する者も多かった。カリオストロは正式の医師ではないのだから、それも仕方のないことだった。彼が処方した薬というのも、特別なものではなく、ただの胃薬のような毒にも薬にもならないものが多かったという。
 しかし、それにもかかわらず、カリオストロの治療で実際に病気が治ってしまったという実例も多いのだ。たとえば、バーゼルに住んでいた29歳の女性は胃病のためにこれまで10年間も寝たきりの生活をしていたが、カリオストロの治療を受けるや、数週間で完治してしまったという。
 この女性の場合もそうだが、カリオストロの治療は神経性の病気にはおおいに効果を発揮したようだ。本当の医師ではないが、イエスと同じように、ある種のオーラを持った人物だったのだろうか?
 ところで、最初は医師として活動し始めるというのは、カリオストロの常套手段で、ストラスブール以前にもロンドンで、以降にもパリで、彼は同じやり方で人々の評判を勝ち得たのである。

 医師をしていないとき、カリオストロは霊見術で人々の関心を集めることが多かったという。これは霊媒をつかって遠方の出来事などを透視するというもので、カリオストロの得意技のひとつだった。霊媒には利発そうな少年や少女が使われる。
 やり方はいろいろあるが、1779年、ドイツのミタウという町ではカリオストロは「知の油」という軟膏を用いている。まず7歳の少年の選び、頭と左手にこの軟膏を塗りこむ。その少年に、油でてらてら光る左手を見つめさせる。そして、観客に、この少年に何を見せたいかリクエストさせる。
 このとき、観客はこの少年の母と姉が今自宅で何をしているかと質問した。
 少年の自宅はもちろん霊見術が行われていたその場所からは離れていたので、普通の方法では知りようのないことだった。

 すると、カリオストロに誘導されていた少年は、手のひらの中に彼の姉が胸の痛みに苦しんでいる情景とそれから間もなく兄が帰宅した情景を目撃したのである。
 ところで、少年の兄はこの日は仕事で町の外に出ているはずで、まだ帰宅する予定ではなかった。
 そこで、観客の中の3人がすぐにも少年の家に行き、実験結果を確認することになった。すると、少年が見たとおり、少年の姉が今しがた胸の苦しみに襲われた、それからほどなく兄が帰宅していたことがわかったのだ。
 不思議なことだが、カリオストロはあちこちの町で同じような実験をし、しばしば的中させることがあった。
 この手の霊見術は一種の手品のようなものだという意見もあるが、どうして遠く離れた場所のことがわかるのだろう。カリオストロはやはり、古代の秘儀のようなものに通じていたのだろうか?
 いずれにしても、霊的なことに興味を持つ人々は、すぐにもこんなカリオストロの虜になってしまうのである。

もうひとつ、彼が人々の興味を集めるために用いたのが錬金術だった。
錬金術や魔術を操っていたのは事実のようだ。ヨーロッパ各地を旅したカリオストロは、医師も匙を投げた患者を治癒し、ダイヤモンドや金、真珠を生みだして上流階級の人々を魅了していく。
マリー・アントワネット王妃が男児を出産することを予言したことが決定的となって
名声を確かなものにした。

 だが結局、ロシア宮廷でのスキャンダルや詐欺事件「首飾り事件」の共謀者として告発されて失脚。再び、ヨーロッパを転々とする。1777年に、カリオストロフリーメーソンの会員となっていたのだが、漂泊の生活に逆戻りした彼はフリーメーソンの〝エジプト起源説〞を提唱。ローマの地でエジプト・メーソンリーを設立する。だが、それがローマ教皇庁からの嫌疑を招き、1789年、異端の疑いで逮捕されて宗教裁判にかけられる。その嫌疑は晴れることなく、終身刑をいい渡された彼は、その数年後に獄中死した。疑惑に満ちた生涯を送ったカリオストロだが、その死後、生きて地上を漂泊している彼の姿が噂されるようになる。稀代の山師が最後に実行した魔術だったのかもしれない。

 

 ところで、カリオストロ伯爵はシチリア島パレルモの貧しい家庭の生まれで、本名はジュゼッペ・バルサモだったということがはっきりしている。だから、伯爵というのももちろん嘘である。
 あまりにひどい不良少年だったので、故郷にもいられなくなり、18歳で逃げ出したという。
 それから何年もの間、どこで何をしていたのかはっきりしない時期がある。そこで、カリオストロが秘教に通じた錬金術師だったと考える人々は、この間に彼は地中海やオリエント世界を旅して周り、秘教の奥義と親しんだのだと伝えている。この途中、アルトタスなる大化学者と出会い、錬金術と医学と魔法を学んだが、このアルトタスこそサン・ジェルマン伯爵ではないか、などという話もある