けしの実
インドのある村の、キサーゴータミーという女性は、幼子を亡くし悲しみに身も心も壊れんばかりだった。愛児の死を受け容れられず、死んだ赤子を抱いたまま、「この子を生き返らせて、この子を 生き返らせて」と会う人ごとに激しい哀願をかさねるが、もとよりかなわぬことである。見かねたある人がブッダにたすけをもとめた。
ブッダは、ゴータミーにこのように言った。
「この村の家々をまわって、けしの実をもらってきなさい。ただし、これまで一度も死人を出したことのない家のけしの実でなくてはいけない。それをもらってわたしの所に持ってきなさい。そうすれば、赤子は息を吹き返すだろう」
ゴータミーは勇んで、家々を回った。我が子が生き返ると聞いた彼女は必死だった。
しかし、訪問をうけた家の人たちは、悲しく首を振るだけだった。
どの家を回ってもけしの実は手に入らなかった。死人を出したことのない家は一軒もなかったのである。
その時、ゴータミーははっとした。愛するものを喪った悲しみはわたしひとりのものではない。これまで、みなが味わってきたかなしみなのだ。生きとし生けるものは死をまぬかれることができない。 そのことわりをしっかりと胸にだいて、かなしみをしずめなければならないのだ。そう思ったとき、かなしみは消え、ゴータミーはブッダの弟子になったという。
占いの相談をしていると、僕の占い結果に怒り出す人がいる。
感情をむき出しにして、納得がいかないのだ。いや頭ではわかってはいるのだ。
理不尽な今の自分の状況を救って欲しい。
けれど、占いで出された答えがやっぱり私には納得できない。
そんな答えには私は従えない。そんな答えを私は望んでいない。
でも、やっぱり占い師は神との対話で導き出された答えを、相談者に飲み込んで
もらう努力をしなければならない。飲み込みやすい形にまで落とし込んであげる努力を、とことんするのが良い占い師なのだと改めて自戒する。
理不尽で理解不能な、失恋も、別れも、リストラも、病気も、あらゆる「納得できないこと」が起きてきた理由が、占いで分かるのです。
人が生きていくためには、納得できないことを飲み込んで行くほかありません。
納得できないことを、納得しないまま そっくりそのまま受け入れることができる人が「悟っている」のだと思います。
悟っている人なんてめったにいませんから、誰もが納得できなくて苦しみます。
占いは、苦しみを和らげる手助けをしてくれます。
そうです。人は「理解することで苦しみが楽になる」のです。
高橋桐矢(占い師入門より)